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日刊 温暖化新聞|伝える人になる
温暖化のことをいくら説明しても、「温暖化なんて起こっていない、人間のせいではないと言う科学者もいるではないか」と反論されてしまいます。どう考えたらいいでしょう?
世界の温暖化に関する専門家が2,000〜3,000人集まっているIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が2007年2月に出した最新の第4次評価報告書には、「20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高い(可能性90%以上)」と書かれています。
それでも「温暖化なんかない」「人間の出す二酸化炭素のせいではない」と言う人は確かにいます(その動機が何であれ、どの時代にもどこにも、大部分の人々と違う意見を言う懐疑論者はいるものですね)。そのとき私たちが考えるべきことは、「世界の2000人を超える科学者の合意を信じるのか? それともほんの少数の逆行する意見を信じるのか?」ということです。もちろん科学は多数決ではありませんが、「大部分の科学者はある合意に達しており、少数の人たちは違うと言っている」ことをどう考えるか——これは各自の判断になります。
私は科学者の合意の方が正しいだろうと思っていますが、専門的な個々の議論になると本当にどちらが正しいのか自分では分からないこともあります。しかし、いずれにせよわたしたちはそれらの情報をもとに判断して対応しなければなりません。そういうとき、私は「リスクをどう考えるか?」という観点で自分の考えを説明します。
私たちの対応には、以下の2つのいずれかになります。
「科学者の合意(人為的な原因で温暖化が起きている)を信じて対策を取る」
「懐疑論者の意見(温暖化は起きていない、人間のせいではない)を信じて対策を取らない」
そして、実際にはどうだったかは、以下の2つのいずれかです。
「科学者の合意が正しかった場合」
「懐疑論者の意見が正しかった場合」
下図のように、これで4つの可能性があることがわかります。
この4つの可能性のそれぞれのプラス・マイナスを考えてみましょう。
- 私たちが科学者の合意を信じて対策を取っており、実際に人間の影響によって温暖化が実際に進んでいた場合:被害は最小に抑えることができるでしょう。
- 懐疑論者の意見を信じて対策を取らず、しかし、実際には科学者の合意どおり、人間の影響によって温暖化が実際に起こっていた場合:大きな被害に苦しむことになります。
- 懐疑論者の意見を信じて対策を取らず、実際に懐疑論者の意見が正しく、人間の影響による温暖化は起きていなかった場合:「ホラね、何もしなくてよかったね」ということになります。
- 私たちが科学者の合意を信じて対策を取ったのに、実際には懐疑論者の言うように人間の影響による温暖化は起こっていなかった場合:失うものは何でしょう?
温暖化に対する対策は、省エネ・脱化石燃料化を進めるということです。それは温暖化に限らず、資源やエネルギーの枯渇という点でも重要で必要なことです。温暖化対策として開発した技術がむだになることはないでしょう。温暖化が進行しないように、私たちが日々の暮らしで気をつけ、できることを進めていくという環境重視の生き方も、それ自体が本当に大切なこととのつながりを取り戻す意味でも大事ではないかと私は思っています。
としたら、たとえ(4)でも失うものはほとんどない。しかし、(2)であれば、大変な被害が出てしまい、子孫に禍根を残すことになってしまいます。このように、4つの可能性を比べたとき、科学者の合意を信じて対策を取るほうがリスクは小さいと私は考えています。
なお、テクニカルな懐疑論については、研究者たちによる「地球温暖化問題懐疑論へのコメント」が役立ちます。ご参考まで。