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日刊 温暖化新聞|エダヒロはこう考える
2008年05月24日
首相「地球温暖化問題に関する懇談会」第2回 政策手法分科会での発言
5月21日に開催された「温暖化に関する懇談会」の「政策手法分科会」での自分の最初の発言です。
(今回は資料はありません)
~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~
私も怒られたらどうしようと、いま心臓がドキドキしております。
(注:私の直前の委員と、森嶌座長とのかなり激しい応酬があったので……。こう口火を切って、座長もほかの方々も笑ってくれたので、ほっとしました)
経済成長との両立が大事だというのは、本当にそのとおりだと思うのですが、ただ、経済成長は目的ではなくて、私たちは幸せに生きるために経済を営んでいるのであって、人を幸せにしない経済であったら、成長しないほうがいいと思っています。
ですから、その経済成長と排出削減というのを両立すると考えたときに、人を幸せにしないような経済であったとしたら、それを成長させるべきだと思いませんし、経済成長を重視するあまり、たとえば温暖化が進んで大きな被害が出るようなことがあれば、それはそもそもの私たちが生きている目的である幸せを損なってしまうわけですので、そこのところはひとつ確認しておきたいなと思います。
つまり、大前提としては、「温暖化を止めましょう」と、それはこの分科会の皆さんの基本的な認識であることは間違いないと思います。
そのときに、確かに閾値があって、タイプ2の閾値は100年は来ないかもしれないということですが、タイプ1の、つまり許容できないような被害が出る、そういった閾値はどこにあるか、まだわからない。どこにあるかわからないというのは、ないということではありませんので、やはり、タイプ2が来ない間に、技術
革新を大きく進めつつ、いまできることを、しっかり進める必要があると思っています。
根本的には、前も申し上げましたが、地球の許容できる排出量が31億トンですから、いま72億トン出ている排出量をそこまで下げる必要がある。その前提は、おそらく皆さん異論はないのではないかと思います。(注:他の委員からもご指摘をいただきましたが、正確に言うと、排出量が減っていけば地球の吸収量も減っていくので、31億トンという数字は下がっていくことになります)
そのときに、いまできることをやっていきましょう、いまできることを積み上げるだけの、いわゆるフォーキャスティングのやり方ではなくて、あるべき姿はどうなのかというバックキャスティングでやっていく必要がある。そのときに60~80%、ないし私は70~80%と言っていますが、そういう削減目標の数字が出てきます。
山口先生からのコメントですが、たとえば国立環境研究所の研究で、2050年に日本が70%減らせるという、そのような研究が出ております。そちらで、たとえばどのような技術革新とか、どういった生活になるとか、そういったシナリオをいくつか出してくれていますので、議論のたたき台として、十分使うことができると思っています。
日本は確かに4%しか排出していませんが、ただ、日本の世界に占める人口の割合は2%です。2%の人間が4%出している。これを「4%しかない」という言い方を、私はとてもできないなと思っています。世界の衡平性を考えたときにも、やはり4%をしっかり必要なだけ減らさずに、世界に向かって大きな顔をして、いろいろなことは言えないのではないかと思っています。
もうひとつ、「4%しかない。だから世界の排出量を下げるのが日本のやるべきことだ」という、この言い方のちょっとまずいなと思う点は、特に今回の懇談会が、国内へ向けてのメッセージでもあるということです。
これは、一般の人たちからすると、「じゃあ、私たち、何もやらなくていいの?」という、間違った認識になってしまいます。そうすると、このままどんどん日本の排出量は増えていく、その分海外から排出枠を買ってくる、というような悪循環になってしまう。そうではなくて、96%をしっかり減らすためにも、4%をど
うやって日本が減らすかということを考える必要があると思っています。
山口先生もおっしゃったように、排出量取引を入れたからといって、2050年半減が自動的にできるわけではないと、私も思っています。逆に言うと、半減ができるような仕組みをつくっていくべきだということです。
そのひとつが排出量取引であり、排出量取引でも、たとえばマネーゲーム化するのではないか、国際競争力が低下するのではないか、さまざまな不安や心配、問題点が指摘されているわけですが、それをどうやって最小化するかという制度設計にこそ、頭を絞るべきではないか。
何かをやると、必ずいろいろな影響が出ます。「影響が出るからやらない」と、そこで反対するのではなくて、そういった悪影響が予想されるんだったら、どうやって最小化する制度設計をするか、ということを考えていくべきではないかと思っています。
「低炭素社会」というのは、私はとても明るくて幸せな社会だと思っています。エネルギーの自給率も高くなって、食糧の自給率も高くなって、いろいろなエネルギーの価格高騰とか、いろんな食の安全や確保の問題で不安になることもなく、地方も活性化し、人や地球とのつながりをみんなが取り戻す。都市と農村との循環も強くなっている。そんな明るい社会ではないかと、私は思っています。
そういった社会をつくろうというこの懇談会をやっているときに、「どうやって自分たちへの影響を最小化しようか」と考えるのではなくて、どうやってみんなで、そういった社会を、いちばんいい形で、いちばん早くつくっていけるか。
これはいま、エネルギーの価格高騰の問題も、先ほど言及がありましたが、そういった時代背景のなかでは、温暖化だけではなくて、本当に国のために早く進めるべきではないかと思っています。
そういった観点で考えてみまして、3点だけ、こちらの論点整理にコメントをさせていただきたいと思っています。
1点目は、2つ目の「政策手法選択に当たっての基本的な視点について」ということで、最初のところで、「日本の国際優位性が発揮されるよう、少なくとも2013年以降の」という書き方になっていますが、これはこのまま読むと、「少なくとも真剣な検討が必要である」と読めてしまうような気がします。国際優位性
が発揮されるということは、やはり先手を打つことだと、私は認識していますので、この「少なくとも」は「遅くとも」ではないかと思っているのが1点です。
それから、政策手法の(1)の「ポリシーミックス」のところですが、「産業分野には」というところですが、「民生・運輸部門には、規制、見える化、または環境税等、排出量への価格づけ」というふうに書いてありますが、「または」というと「どちらか」というイメージを、ほとんどの人は持つと思いますので、この「または」は「および」に変えるべきではないかと思っております。
それから3点目、先ほど話が紛糾していたところかもしれませんが、その下の「国内排出量取引制度」の2つ目の「・」ですが、これは議論の取りまとめとして親会議に出すものだと認識しています。
ですので、私が提案した修正は、途中から読みますが「わが国の実情を踏まえた検討を継続するという意見と、柔軟に転換をしていく土台として、実験的でも段階的な導入を図るべきだ、という意見があった」。とりまとめについては両論併記で出すべきではないかと思っております。
以上です。
~~~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~
自分と異なる意見に対して、どのように話をするのが効果的なのか、いろいろと考えつつ、試行錯誤しています。
「効果的」というのも、何に対して、ということが重要で、単に相手を言い負かすことや、最終的な書類に自分の修正を盛り込むことばかりが「効果的」であるための目的ではなかったりします。
いろいろ勉強になります~。(^^;
さて、次回の懇談会では、この政策手法分科会ともうひとつの環境モデル都市分科会からの報告をもらって、さらに議論を進めることになります。次回がひとつの天王山かな、と思っています。(本懇談会は非公開なので、当日の記者会見のほかは、各委員の発言は議事要旨が発表になったらごらん下さい)