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日刊 温暖化新聞|エダヒロはこう考える
2008年02月07日
温暖化は「問題」ではない~うねりをつくり出すもの
ここしばらく、さまざまな活動を通して、「本質的な問題がより明確になり、社会にも伝えられるようになり始めた」印象を持っています。
「本質的な問題」とは、たとえば、「温暖化は問題ではない」ということ。温暖化は、もっと根源的・本質的な問題の症状の一つに過ぎません。根源的・本質的な問題とは、「有限の地球上で、無限の物理的成長をつづけようとすること」です。このために、「成長の限界」にぶつかってしまっています。
「二酸化炭素吸収源」の限界にぶつかったために、温暖化という問題が生じました。「資源」の限界にぶつかりつつあるために、石油をはじめ、資源やエネルギーの価格高騰が起こっています。
たとえ、大きな掃除機でぶおーっと大気中の二酸化炭素を吸い込んで温暖化を止めることができたとしても、「有限の地球上で、無限の物理的成長をつづけようとする」という根本的な問題構造が変わらない限り、かならず別の問題が生じることでしょう。
(これがデニス・メドウズ氏らの『成長の限界』でいう「層状の限界」です。ひとつの限界を技術的に解決しても、次々と限界がやってきます。ある限界を技術的に遠ざけることに成功すればするほど、次の限界は早く強力な形でやってくる、というものです)
また、「本質的な問題」とは、温暖化をはじめとする問題は、科学技術的な問題ではなく、「こころに関わる問題」であること、つまり、「本当の幸せとは何か」「成長至上主義の問い直し」につながる、という話を、かつては市民はともかく、企業の人々にはなかなか聞いてもらえませんでしたが、最近では、耳を傾けてくれる人が増えてきました。
そして、温暖化などの問題は、システム思考でいう「構造」の問題であることがますます明らかになってきました。だれも温暖化を進めたいと思っていません。多くの人が何とかしたいと真摯に思い、組織でも個人でも努力をしています。それでも、日本や世界の二酸化炭素排出量は増加の一途です。なぜなのでしょうか?
それは、私たちの思いや根性が足りないせいではなく、「現在の社会や経済が、二酸化炭素排出量を増やしてしまう構造」になっているためなのです。もちろん私たちにもまだまだできることはたくさんありますが、社会や経済のルールやしくみを変えることで、この構造自体を変えない限り、短期間に大きな削減は難しいでしょう。
このような「温暖化は症状である」「有限の地球上での成長の限界」「成長を問い直す」「本当の幸せを考える」「問題を構造として理解する」「構造に働きかけることを考える」「小さな力で大きく動かせるレバレッジ・ポイントを模索する」ことを軸に、講演やワークショップ、セミナーなどの活動を展開できるようになってきたことを、とてもうれしく心強く思っています。
今年は、洞爺湖サミットもあり、ますます温暖化が大きな問題となっていくでしょう。もっとも、サミット自体は、システム思考の「氷山モデル」でいうところの「氷山の一角=できごと」レベルのイベントですから、それ自体が大事なのではなく、このサミットという機会を活かして、「氷山の下の部分=構造」を変えられるかどうか、が大事なところです。
今後も、政治や経済でも温暖化をめぐって大きな動きがたくさん出てくることでしょう。日本の場合、残念ながらまだ国や経済界のレベルではめだった動きにはなっていませんが、自治体や個別企業、そしてひとりひとりの取り組みのレベルでは、変化が加速しています。さらに広がっていけば、だいじょうぶ、絶望的な状況に陥る前に状況を好転させられると思っています。
そして、そういった取り組み変化の“構成要素”である、一人ひとりの思いや願いが抱かれ、温められ、形になり、伝えられつつある――小さな雨粒が集まって激流をつくるような、「うねり」の芽生えをあちこちで感じるのです。
私の好きな小さなお話を紹介しましょう。
冬の細い樹木の枝に、二羽の鳥がとまっている。
「雪のひとひらの重さはどれくらいかな」シジュウカラが野バトに聞いた。
「重さなんてないよ」ハトが答えた。
「じゃあ、おもしろい話をしてあげる」シジュウカラが言った。
「モミの木の、幹に近い枝にとまっていると、雪が降り始めた。激しくはなく、吹雪の中にいるような感じでもない。そんなのじゃなくて、傷つくことも荒々しさもない、夢の中にいるような感じの降り方だった。ほかにすることもなくて、ぼくは小枝や葉に舞い降りる雪をひとひらずつ数えた。やがて、降り積もった雪の数は正確に374万1952になった。そして、374万1953番目の雪が枝の上に落ちたとき、きみは重さなんてないと言うけど--枝が折れた」
そういうと、シジュウカラはどこへともなく飛んでいった。
ノアの時代以来その問題に関してとても詳しいハトは、今の話についてしばらく考えていたが、やがて独りつぶやいた。
「もしかしたら、あともう一人だけ誰かが声をあげれば、世界に平和が訪れるかもしれない」
(ジョセフ・ジャウォースキー著『シンクロニシティ』より)
(2008年2月7日)