本文の先頭です。
日刊 温暖化新聞|あの人の温暖化論考
なぜ今気候変化対応か
気候変化だけが問題ではない。世界には貧困も飢餓も不公平もある。確かにそのとおりである。それにもかかわらず、気候変化を今世紀の大問題として取り組もうとしているのはなぜか。
それは、気候変化への対応が、われわれが将来世界へ向かうために心得ねばならない要素をほとんど持っているからだ。いま気候変化の問題をきっかけに、世界は、貧困、飢餓、不公平への解決策を模索しているのである。世界はいずれ自然環境資源のカベにぶちあたり、自然と共生する持続可能な定常化社会に向かわざるを得ない。われわれは宇宙船地球号の住人であり、公平性を考えた相互協力なしには生きてゆけない。そこには競争社会と正反対の秩序がある。早くのぞましい社会像をみなで共有し、それに向けての道筋をバックキャストで向こうから考えてみる必要がある。そうした将来を変えてゆく試みの第一関門、そして最初のチャンスが気候変化への対応なのである。
すでに定常化社会へ入った
温暖化の問題は決して一時しのぎで解決するものではない。研究が進めば進むほど、この問題の大変さがわかってきた。大気中に温室効果ガスがたまり続けていく間は、気候変化はますます激しくなってゆく。このままの排出を続けてゆけば、海水面がグリーンランド氷床の融解でゆっくりだが確実に数メートルまで上がってゆく、それ以前に南極氷河のすべりだしで急激な上昇が起きる、凍土が溶けて地中のメタンが排出し温暖化を加速する、といった大規模変化の可能性が増えてゆく。
今人間活動から大気中に出している二酸化炭素は70億トン(炭素換算)ほどで、このままでは今世紀末には2倍以上に増える。ところが地球の吸収能力は30億トンぐらいしかない。悪いことにその吸収能力は、温度上昇とともに減ってゆく。これまで吸収してくれていた森林が枯れてゆき、土の中で有機物が分解して二酸化炭素を出し始める。海水温度が高まると、ビールをあたためたときのように二酸化炭素が出やすくなって海の吸収能力が減る。だから何度か上昇したところで濃度を一定にとめようとしても、減ってくる吸収能力にあわせて排出量をさらに減らしてゆかねばならない。いつかの時点で人間が出す温室効果ガスを、少なくとも地球が吸収できる量にまで下げなければならない。さしあたり今の吸収量以下にしなければならないし、これから100年程度の間にほとんどゼロにした低炭素社会にしなければならない。
なんとこのことは、H. E. Dalyのいう「持続可能な社会経済は、すべての資源(化石燃料)利用速度を、最終的に廃棄物(二酸化炭素)を生態系が吸収しうる速さまでに制限する。」に合致する。われわれはまさに今持続可能な社会の入り口にいる。
宇宙船地球号のガバナンス
安定した気候は、誰でも享受でき、誰にも使うなとはいえない地球規模の公共物である。今それを使う権利、すなわち温室効果ガスの排出量をどう配分するかの交渉が、気候変動枠組み条約の下で行われている。今の時代エネルギーは必要不可欠であるから、限られた資源である「安定な気候」の使用権配分を如何に公平に、みなが納得ゆく形で配分出来るか。将来、あらゆる自然環境資源が不足するときにその配分をどうするかの智恵をまさに今出し合っているのである。気候変動交渉は生存をかけた公平性を問う、宇宙線地球号内での限られた資源の配分である。フリーライダーは共倒れのもとであり、決して許されない。ここでの第一の倫理は、フロンティアを目指した勝ち抜き競争ではなく、相互に張り合う中での協力である。ここで生まれる地球の新しいガバナンスは、将来の持続可能社会をリードする。
道筋はバックキャストで
低炭素社会の行く先は持続可能な社会である。その姿は定かではないが方向は見えている。ただしそこへの到達にはなかなか困難な道のりが待っている。これまでのカウボーイ経済では、ひとりひとりが好きに振る舞うことで世界のフロンテイアが拡大してきた。先はむしろ見えないほうが夢が広がる。しかし今度はなんとしても到達せねばならない道なのである。しかも時間制約が気候変動防止にはある。危険なレベルまで温度上昇がすすまないうちに、生態系が維持されているうちに、温室効果ガス排出をある量以下に下げなければならない。そこへ到達するには、将来の共通の望ましい世界から今を見返すバックキャストで、限られた手持ち資源を最大活用して最短の道を選ばねばならない。
産業革命をリセットする
低炭素社会の実現は大変なことである。産業革命を逆行させる話だからだ。産業革命以降の社会は、はじめは石炭、その後石油や天然ガスといった炭素分の多い燃料をエネルギー源として、人の持つ力を何倍にも拡大してできた技術社会である。身の回りを見回してみると、今はどんな技術にもエネルギーが使われ、そして二酸化炭素を出している。家庭にあるテレビやファックス、コンピュータは、いつでも直ちに皆様のお役に立とうと24時間待つために家庭電力の10%近い待機電力を消費している。あふれるゴミの処理が身近な問題になっている一方で、モノの製造や輸送には多くのエネルギーが使われている。家庭が出す二酸化炭素の13%は食品から出ているが、大地の恵みで育つべき農産品も、肥料や農機具で生産性を挙げ、温室で季節知らずの生産をするために、大量のエネルギーを使う。今の世界はエネルギー漬けである。
産業革命以前はどうだったか。基本的に太陽の恵みから派生するバイオマス、薪、などを使っていた。お日様と共に起き、自然の農業を主とし、木材で家を建て、すべて太陽の恵みの中で生きてきた。そんなに多くの化石燃料は使っていなかったから、大気中にすこし出した二酸化炭素は短期間に自然に吸収され、大気濃度は元に戻っていった。
ところが産業革命以降はそれを大規模にはじめ、しかも200年も続けてきたものだからたまりたまったものが減るどころか増えてばかりいる。今それを元に戻そうとして、化石燃料を使うのはやめる、吸収能力を高めるために木を植える、などを必死にやろうとしている。今のわれわれは産業革命の後始末をしているのである。産業革命、エネルギー技術のおかげで、多くの飢餓、貧困は解消され、人間らしい豊かな生活を得たことは間違いない事実である。だからこれからは産業革命以前の生活に戻るのではなく、200年の間に培った人の智恵をフルに残したままここで昔の産業革命をリセットして、低エネルギー・低炭素社会への新たな産業革命への道のりを探ることになる。
(2009年1月6日)
西岡 秀三(にしおか しゅうぞう)
独立行政法人国立環境研究所 特別客員研究員
1939年東京生まれ。国立環境研究所勤務、東京工業大学教授、慶應義塾大学教授、国立環境研究所理事・参与、地球環境戦略研究機関気候政策プロジェクトリーダーを経て現職。専門は環境システム学、環境政策学、地球環境学。1988年よりIPCCなどで、気候変化影響や対策シナリオ研究に従事。2004年から2008年にかけては、環境省地球環境研究計画「2050年温室効果ガス削減シナリオ研究」のリーダー、および文部科学省気候予測モデル「革新プログラム」共同研究総括を務める。編著書:「日本低炭素社会のシナリオ-二酸化炭素70%削減の道筋」日刊工業新聞社。「地球温暖化と日本-自然・人への影響予測」古今書院。「新しい地球環境学」古今書院など。