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日刊 温暖化新聞|あの人の温暖化論考
僕は漫画家をやっています。
友人には同業の漫画家がたくさんいて、なんだかんだ励ましあって、この厳しい稼業を耐えてたりして、僕にとってはみんな大切な友人です。
友人が売れたら嬉しいし、もしそんな時に「売れなきゃいいのに」なんて思う自分がいたら、そんな自分は許せないと思う。
だけど最近は、受験なんかの時に、まだ年端もいかない子供が「ライバルの子が風邪でもひけばいいいいのに」なんて普通に思っていて、大人はそのことを叱るどころか「それも仕方ない」と思っている。
そんな状況が「当たり前」になった気がする。
そもそも競争社会では「人の不幸を願う気持ち」は構造的に含まれてしまうので、「不合格の人が可愛そう」という気持ちは「いらないこと」になってしまいがちなのも悲しい。
おまけに、試験に合格した人が「可愛そう」というと「上から目線の偽善者」にされ、不合格の人の発言なら「負け惜しみ」ということにされる。
なんとも殺伐とした環境に子供たちは生きていると思う。
「エコとかいうやつらはカッコつけてて、なんかむかつく」みたいな精神はこういう土壌から生まれているんだと思う。
「死ねばいいのに」という言葉がネットには普通に飛び交う。
僕は本来人間は「誰かを幸せにすること」で幸福が得られるように出来ていると思うけど、いつの間にか「誰かを不幸にする努力をしなくてはならない世界」に僕らは生きてる。
このことについて考えないとどんな対策も根本的な解決に至らないと思う。
「頑張って誰かを不幸にする」という歪んだ努力は人の心を病んでいく。
「私はこの世界にいていいのか?」という気分にもなる。
戦うことが本能ならスポーツなどの「生命の危機には至らないレベルのこと」だけでそれを満たさないといけない段階にきているのだと思う。
残念なことに経済の世界では誰かを「生命の危機」に追い込んでしまう勝負が多すぎる。
CO2は人間が大きな欲望を満たすと、その分だけ沢山出るもので、まるで「欲望の化身」みたいだ。
「その量が限界を超えたら君たちの時代はおしまいだよ」なんて神様に言われてるみたいにも感じる。
温暖化問題は完全に人間の心の問題だ。「得」より「徳」なのだ。
「他者の不幸は本当に自分を幸福にするのか?」
そんな学校や会社では邪魔な「疑問」こそこの危機を乗り越えるための核になるのだと僕は思う。
(2010年10月22日)
山田 玲司(やまだ れいじ)
漫画家
1966年東京都生まれ。多摩美術大学 絵画科油画専攻卒。
12歳で手塚治虫に出会い漫画家になることを決意。20歳でデビューした後(ちばてつや賞)、1991年『Bバージン』でブレイク。2003年、革命的対談漫画『絶望に効くクスリ』を開始、オノ・ヨーコからオリバー・ストーン、歌舞伎町のホストにいたるまで200人以上の人にインタビューする。2004年に宮藤官九郎氏とともに『ゼブラーマン』を連載したほか、2005年に日本中の職人を取材したルポ漫画『しあしご』をソトコト誌にて連載、2008年にはビッグコミックスピリッツにて地球温暖化をテーマにした本格環境問題漫画『ココナッツピリオド』を連載した。
生き物と環境問題に強く関心をもって活動。多くの専門家とNGOとつながりをもつ。恋愛と教育関係の作品も多い。取材の経験から才能はどこにも属さない部分に現れることを確信。「非属の才能」という言葉を作り新書で発表。